「福間 清子」パート2
小汀 泰久 | 2011.03.08
「福間 清子」さんは、私の小学校、中学校の同級生です。
私が、「今、最も尊敬する人」です。
出雲市社会福祉協議会の「社協だより」第48号
(平成21年3月12日発行)の表紙に掲載されてます。
念のため、より鮮明に見ていただけるようにPDFで貼り付けておきます。
「社協だより」の2Pにご本人が「いずもの好福(こうふく)さん」として
紹介されています。
福間さんは、ご結婚されて「福間さん」ですが、旧姓は、「大倉」さん
です。 パート1で中学校の時についてふれていますが玉木校長先生
の話が、いろいろと長話をしました中で出ました。
玉木富市先生は、旧海軍の軍人さんでもあった人で「規律正しい」方
で登校のときも誰(当時は用務員の方が当直をされていました)よりも
早く学校に来て、校長室に入るやいなや部屋の三方のガラス窓を「き
ちんとまん中に寄せて」開き、自ら掃除をなさるという先生でした。私も
野球部で暗くなるまで練習してあくる朝は、先輩の<スパイク磨き>で
遅くとも始業時間の1時間前には、登校してましたので校長先生と一
番を争っていて、私が遅い時には、校長室に「おはようございます!!」
と挨拶をして体育館にある部室にいって<スパイク磨き>をしてました。
校長先生がこうですから当時の出雲三中は、雪が降っていても上着を
脱いで窓を全開にして掃除をすることが通例でありました。
この玉木富市先生をYAHOOで検索してみましたら昭和39年から
出雲三中で7年間勤務され、その後暫くたって出雲三中の校長先生を
なさった畑先生(私らが在校生であった時には5組の担任、大倉さんは、
4組、私は6組でした)がご自身の教育者としてのいろんな分野の研究
発表のような75ページに亘る論文の中の16ページに下の写真のよう
に掲載してありました。
75ページ全部を熟読したわけではないですが、当時の中学校の校長先
生、担任の先生がこのように「真剣に、真摯に教育、子育て」に取り組ん
で頂いていたことを知り、本当に頭が下がります。 感謝です。
こういう愛情のこもった指導を頂いたことにより、50年後の今、私らの
会話の話題にもなってくると感激をいたしました。
こうして「福間清子」さんとの<縁>で振り返るとインターネットの時代の
<素晴らしさ>も感じますし、これからの「私の生き方」についての指針を
与えて頂いているようにも思います。 今回は、「福間 清子」さんの直接
の話題ではなかったのですが「大倉 清子」さんにとっては、大変に薫陶
を頂いた先生であった筈です。 次回につづく