「福間 清子」パート4
小汀 泰久 | 2011.03.10
「福間 清子」さんは、私の小学校、中学校の同級生です。
私が、「今、最も尊敬する人」です。
この<捨てる神あり・拾う神あり・人生いろいろ>という手記は、
「福間 清子」さんが、障がいを受け入れることが出来た発病から
8年後の平成18年に書き上げられた文章です。 大作(21ペー
ジ)でありますので5回に分けてアップします。
文章が、写真では鮮明ではありませんのでスキャナーでPDF
を貼り付けますので是非お読みくださいませ。
ダブルクリックして見て下さい。
今もとっても元気でいつも大きな声で明るい「さちこ」さんも
18年前に「甲状腺のがん」で約1ヶ月間、手術をし入院して
おります。 風邪かと思い近所の開業医さんに受診をしたら
「これは、風邪より甲状腺が問題だから総合病院で診てもら
って下さい」とのことで市立病院で受診をしたら1週間後に夫
婦で呼ばれて、パソコンを見ながら「悪性だから、明日から入
院。手術は、来週」「状況によっては、しゃべれなくなる可能性
もある」とのことでありました。
その時は、母も出雲市で中央病院に入院中であり、社業では
くにびきメッセの完成した年で5月には、当社の百周年の年で
「百歳・飛躍祭」と銘打って仏壇・寺院用具・の博覧会、そして
四国八十八箇所のお砂踏み、島根、鳥取のお寺さんのチーム
によるゲートボール大会をメッセの大展示場全部を3分割にし
て開催をする年でありまして前の年のお盆が終わると直ぐから
その総ての行事の仕切りを私がしている最中でした。
手術の日は、朝から食べ物がのどを通らず、約7時間位の手術
中も「吐き気」がして落ち着きませんでした。 しかしながら夜、
7時頃だったと思いますが、手術後初めて「さちこ」さんに会いま
したら、にこりと笑ってかすかな声で「大丈夫だよ」と言ってくれ
ました。 安堵しました。
「福間 清子」さんのご主人、お義父さんの気持ち、思いにつきま
しては以上のような経緯でありますので多少は、理解できます。
ご本人はもちろんでありますが、ご主人様、お義父さまの清子さん
に対する愛情の深さにただただ頭が下がります。
次回に続きます。(次回は、p5~9です)