「福間 清子」パート5
小汀 泰久 | 2011.03.15
「福間 清子」さんは、私の小学校・中学校の同級生です。
私が、「今、最も尊敬する人」です。
この<捨てる神あり・拾う神あり・人生いろいろ>という手記は、
「福間 清子」さんが、障がいを受け入れることが出来た発病から
8年後の平成18年に書き上げられた文章です。 大作(21ペ
ージ)でありますので5回に分けてアップします。(今回は、2回目で
p5~p9)
文章が、写真では鮮明ではありませんのでスキャナーでPDF
を貼り付けますので是非お読みくださいませ。
この項では、必死の闘病生活とリハビリ、特に同じ入院患者
の方々からの励ましなどと共に、現在も続けていらっしゃる
フォークダンスの話題があります。
「大倉 清子」さんが中学生になって体操部に入って指導を受け
られたのが「石倉 英子」先生です。この先生は、小学校から中
学校に入学したての私らにとって「とってもカッコイイ先生」でした。
いつもジャージーを着て体育館の一角にある保健体育室にいらっ
しゃいました。「石倉 英子」先生は、昭和57年の島根国体の時
のマスゲームの指導をされた島根県フォークダンス協会の会長
もされていました。「三中の体操部」の県大会優勝は、この先生の
指導力と「大倉 清子」さんのキャプテンシーのよるもの思います。
当時は、<元気溌溂・颯爽>としていらっしゃったその石倉先生も
現在は、病気療養中であります。不思議なご縁で随分前に当社か
らお仏壇を石倉家に納めさせていただいておりましたが数年前に
ご主人様がお亡くなりになられ、お位牌のご注文をご家族様から
頂戴した折に「石倉先生」の病状をお聞きし、驚きました。
中学校の体育館で体操部の試技の発表があったのも忘れません。
「大倉 清子」さんはじめ皆さんは、<眩しいほど光って>ました。
野球部も練習量では、負けないほど頑張りましたが、結果的にそ
の年、県大会で圧倒的な力で優勝した出雲1中に市の予選の
1回戦で0対1で惜敗をして、私の野球生活は終わりました。