「福間 清子」パート8
小汀 泰久 | 2011.03.30
「福間 清子」さんは、私の小学校・中学校の同級生です。
私が、「今、最も尊敬する人」です。
この<捨てる神あり・拾う神あり・人生いろいろ>という手記は、
「福間 清子」さんが、障がいを受け入れることが出来た、発病から
8年後の平成18年に書き上げられた文章です。 大作(21ぺー
ジ)でありますので5回に分けてアップします。
文章が写真では鮮明ではありませんのでスキャナーでPDF
を貼り付けますので是非お読みくださいませ。
P1~4は、3月10日付のパート4にて紹介
P5~9は、3月15日付のパート5にて紹介
P10~14は、3月21日付のパート6にて紹介
P15~18は、3月25日付のパート7にて紹介 しています。
19ページにあります<お義父さんからの短歌>は、嫁、舅の
お互い鏡のような感動を覚えます。自身の病気療養中に頂戴を
したバイクで通って励ました頂いたご恩に報いたい一心で尽くし
てお互い感謝しながら介護をなさっている姿は、素晴らしいと
思います。
20ページにあります<私が、元気な頃にしていました、趣味・部活
・仕事などの経験・体験が全て、障害者となりました私にとりまして、
いきがいとなり、いきていく上での糧となり、無駄なものは一つもあ
りませんでした。>の件は、「福間 清子」さんの現在の偽らざる境
地であろうと思いますが、人間60歳を過ぎて<無駄なものは一つ
もない>との心境になれることは「前向きな姿勢」を貫いていらっし
ゃる賜物と思います。この後の人生も「山あり、谷あり」と思います
が「持ち前の向上心と旺盛な好奇心」で克服していただきたいと思
います。
A-4版、21ページにも及ぶ大作でした。私は、何度も読み返し、
その都度、涙なしでは読めませんでした。「東日本大震災」が発
生したり、いろいろな内容を途中でアップしたりしてとぎれとぎれ
になってしまい申し訳ありませんでした。
小学校・中学校の時に私が<ライバル>として意識をしていた「大
倉 清子」さんの最後の場面が中学校の卒業式の前日、1週間くら
い毎日予行演習があり、いよいよ明日が卒業式という日に二人で
頂戴した「模範生徒」の表彰状の受賞でした。私は、この時に
「二人一緒にゴールが出来たな」と感じました。 この表彰は、この
ブログパート2(3月8日付)にアップしていますが当時の出雲三中の
校長先生、玉木 富市先生のオリジナルの計らいであったと思いま
すが表彰状は、私の所属した野球部の顧問で監督の西田 郁郎先
生の書かれたものでした。先生は、子どもの頃からの病気で指が不
自由でありましたが黒板にチョークでの板書の字の素晴らしさは、今
も目に焼きついています。この先生は、自分の指で握れる特注のノッ
クバットで自らノックをするという自ら「障害に負けない姿」を示してい
らっしゃいました。この先生も「記憶に残る、薫陶を受けた先生」であ
りました。
こうして私らの小学校・中学校時代は「良き、師」に巡り合えてお互い
ライバルとして夢と希望を抱いて輝いていました。「福間 清子」さん
の輝いていた時を、一番努力をされていた時を最も認識をしていた者
として黙っておれなくてご本人の了解を得て連載をさせて頂きました。
これからの私の残された人生でも「ライバルの素晴らしい生き方」を参
考にしてゆきたいと思いますし、「福間 清子」さんにとりましてこのブロ
グの発信が「力」になることを念願するものです。