小汀 泰久のブログ
美保神社宮司就任祝賀式!!その2
2013.07.28
27日(土)18:00から20:00までホテル一畑で
「横山宏充氏の美保神社宮司就任を祝ぎ励ます会」が開催され出席
して参りました。私が横山氏とお会いしたのは、昭和48年暮れの翌
年7月に控えた参議院選挙に出馬予定の亀井久興さんの秘書を務
めている時です。当時、美保神社の禰宜を務めていらした横山氏は、
亀井さんの熱烈な支持者であり、昭和46年の無所属で出馬した亀井
さんの得票率が地元津和野や日原よりも美保関が多かったのですが
その原動力は、横山さんの力によるものです。私は昭和48年12月か
ら亀井久興さんの秘書をしておりました。

その1の最後で取り上げた「なでしこの会」の主宰者で「マリコ」さんの
妹さんです。

この方は、田代さんと言う方で亀井久興さんの妹婿さんで昭和49年
7月7日の参議院選挙で当選した亀井さんの第1秘書でした。(昭和
49年から昭和50年7月までの私の上司)
今回も自ら「横山さんとは、『くされ縁デネ~~』」と言いながら埼玉
から今日のために来松し、8月8日に開催される東京での祝賀会の
お世話役もお勤めになるそうです。

約300人余りのお客様の中には、唯一カタカナ表記のお名前の方、
ダスティン・キッド氏。室蘭から松江に帰り高校教師の特別免許状の
授与をして頂いた時の島根県教育長をされていた藤原さんが、私と
同じ2番テーブルでこうして<あいさつ>していました。2番テーブル
は、北川 泉元島根大学学長、安来清水寺貫主、島田島根大学名
誉教授、三刀屋峯寺松浦副住職、などでした。

この他、美保関に部隊があります、航空自衛隊第7警戒群司令、高
尾山分屯基地司令 小材さんの姿もありました。

日本ボート協会の古城理事も祝辞を述べられました。

福田正明県議と田代さん。福田県議も昭和48年から細田吉蔵代議
士(細田博之代議士の父君)の秘書を務めていらして私らの仲間で
ありました。40年前を懐かしく思い出しておりました。

花束贈呈の後、横山宮司様から謝辞が述べられました。
参会の皆様に御礼を述べられた後、「松江は水の都でもあり、これか
らは、水を、水に関わることを重視して行くべき、これから自分の進む
べき前に困難なことも有ろうと思うが恵比寿様を祀る総本社の宮司と
して『恵比須顔』で過ごして行きたい!!」と決意を述べられました。

最後に古瀬松江商工会議所会頭が中締めとして「だん だん」の二拍
子で、締めたい!!」と力強く宣言されました。

会頭が「松江にも新潟からお招きしなくても芸妓がいてもらうような文
化・まちづくりをしたい」言っておられましたが、新潟の古市から来られ
たお二人に囲まれて写真を撮らせていただきましたが、緊張のあまり
<寝てしまいました>!!
これで、報告を終わります。横山さまの人脈の広さに感服を致しました。
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美保神社宮司就任祝賀式!!その1
2013.07.27
27日(土)18:00から20:00までホテル一畑で
「横山宏充氏の美保神社宮司就任を祝ぎ励ます会」が開催され、
出席して参りました。

30分ほど前に平安の間前のロビーでは、すでに沢山の出席者がい
らっしゃいました。 席図を見てびっくり、テーブル番号が36まである
のに私のテーブルは、2番。

良く見るとテーブル2にも1にも名前が~~。まさか同姓同名がいるの
か? ネームカードの裏の番号は、2となっていたし、席札もあったの
で2番テーブルへ~~~。

本日の司会も、おなじみの石原 美和さん。このところ私が出席する
大宴会は、ほとんどこの人が司会です。(大変な、売れっ子です!)

約300人余りの方が席に着き、横山ご夫妻が入場です。

清興として、境港市とのご縁により新潟市古市から招かれた芸妓の
方の祝事の踊りが艶っぽく披露されました。

主催者を代表して日本会議島根代表 元県議会議長 倉井 毅氏が
挨拶をされた後、溝口島根県知事、井上鳥取県副知事が来賓祝辞を
述べられました。

近藤安来市長の乾杯のご発声のあと、開演になり「なでしこの会」と
いう琴の演奏が始まりました。 この会は、「さちこ」さんもメンバーの
一人ですが、このところ全然練習できていないし多忙でもあるため参
加はしていませんが同じころから始めた方が艶やかな和服姿で立派
に演奏されていました。

一番左の薄紫の和服の方が、「さちこ」さんの松江での一番の友人
「マリコ」さんです。一番貫録(?)があって存在感がありました。(す
くなくとも私には、そのように見えました)
指導者の「タマチャン」はじめ出演の皆様、大変お疲れ様でした。
まだまだ報告したいことがありますので次回にします。
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「天神祭!!」
2013.07.25
毎年7月24日、25日は白潟の天神祭です。今年も賑やかなお祭り
でした。 しかしながら、我が家では「ユーくん」は、お祭りと花火賑や
かさが大のきらいで24日は、フミナ嬢家族とのお祭り参加となりまし
た。フミナ嬢は、<浴衣デビュー>で夕方7時前に颯爽と両親と一緒
に次女の教え子の踊るダンスを見に先発隊で行きました。

まるベリーの所でテーブル席での飲食コーナーが準備されていて一緒
に行った3女・4女(?)と<場所取り>をして食べているとフミナ嬢家
族がやってきて暫くいろいろな種類の食べ物を買い求め<夕食>でし
た。 このころ「ユー君」は、早めに帰ってきたお父さんと二人で、まる
なかウーメンに食事に行ってます。

私は、最初から食べていたので一足早く本部席へ向かいました。丁度
女神輿が到着し、本宮の到着を待っている状態でした。自衛隊の広報
の人やら、顔見知りの方が沢山いました。やがて本宮が到着し松浦市
長、古瀬会頭、木村日銀支店長、山口自衛隊島根協力本部長、そして
中村天神町商店会長が鏡割り、振る舞い酒の準備でステージ上に~~。

焼肉「竹山」の若主人が今年は、神輿連に参加して、ちょうどご両親
と出会い、話している所に若が神輿と共にやってきての図。

古瀬会頭もお孫さんや家族の方も参加されており、お孫さんが興じて
いらっしゃるところで楽しそうに優しいまなざしでいらっしゃいましたの
でパチリ!! FB、ブログ掲載了承いただきましたので~~~。
こうして経済界のトップが、自らイベントに興じて頂きますことが真の
地域活性化になることと思います。移動商工会議所の実施も含め
<現場の生の声>を聴く姿勢が素晴しいと感じています。

合銀駐車場では、昨年に続きい「かりゆしバンド」もふくめ地元のバン
ドの演奏があったらしく、今岡さん、みんみんさんなどが自らの演奏が
終わって、他のバンドの方の演奏を聴いていらっしゃいました。
お疲れ様でした!!

歩いている途中、フミナ嬢の保育園の友達とバッタリ会ってツーショッ
トです。 かわいい!!

翌日、夕方いつもより早めに帰って来た「ユーくん」のお父さんが、
「祭に行ってきます」と「ユーくん」を連れて行きました。
昨日も留守番役でした「ユーくん」が珍しいことです。
帰ってきても「かき氷」や「うなぎ釣り」の話をしていましたが、ちょうど
そこへお母さんから電話で「今から帰るよ!!」と、「ユーくんがお祭
りに行ったよ」というとおかあさんも「直ぐ帰るから、もう一度行こう」と
いうことで9時40分ころから天神祭に我が家で繰り出しました。

こうして、「ユーくん」も一人前に天神祭を楽しんでくれました。
あとは、「花火」ですが、これはハードルが高そうです。
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大好きな「松江の夜景!!」
2013.07.24
先日の日曜日(21日)カラコロ工房でダスティン・キッド君が主催す
る「世界の飲み物と食べ物」と言う名のイベントが開催され行ってき
ました。その後カラコロ工房からカラコロ広場~京店~松江大橋と歩
き松江駅からカフェCOZYを散歩・道草をしました。

カラコロ工房横の駐車場から山陰合同銀行のカラコロ美術館。
上空には、お月様。

京橋北からカラコロ広場・原田創美堂方面を望む。

京橋北詰からカラコロ工房を望む。

堀川遊覧のカラコロ広場発着場付近から原田創美堂の時計塔を見
る。 左上には、満月前の月。 空が青いです。

京橋を渡り切って京店のLEDでライトアップされた街路樹。

カラコロ広場もこのようにライトアップされていますが、人は誰もいま
せんでした。(まだ8時前ですが、もう少し松江の人もいいロケーシ
ョンですし、折角ライトアップされているのですから集って賑わいを
と感じます~~。)

「くらしの器 森脇」さんの向かいから京店入り口角や創美堂・松江
大橋方面をみる。 「星降る町・京店」と白壁にライトアップされて
いますがこのライトアップにより、少しでも賑わい創出になればと思
います。

たしろ美容室を過ぎた松江大橋の北詰から創美堂方向を見る!!
先日から50周年でLEDのライトアップがされていて夜の京店が一層
引き立っています。何とかまちづくりに寄与できること目指したいと思
います。
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「死の淵を見た男」その2
2013.07.21
7月19日(金)の島根県商工会議所連合会総会での講演は、ノン
フィクション作家 門田隆将氏、演題は「原発事故と日本」

東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の<全電力喪
失>という想定していない状況が発生し、福島原発で働いていた吉田
所長以下、東電の社員やその場にいた人がどのような行動をしたのか
、詳しく説明がありました。 その話を聞いて感じることは、私らが当時
TVや新聞で見聞きいた枝野官房長官の記者会見や東電の広報担当
者のテレビでの「記者会見での発表がいかにデタラメであったのか?
ということです。もちろんその当時ニュースキャスターや解説者なども
皆騙されていた訳です。
この原発事故の重大局面は、水素爆発をした時でなく、菅総理がヘリ
で視察した時でもなく、地震が起きて5時間後くらいから起きていたと
いう事実です。
津波発生後、「全電源喪失」した時点から始まっていたそうです。
しかも、その時点からチェリノブイリの10倍くらいの放射能汚染の可
能性があり、そうなったら「東日本は、人が住めなくなり西日本と北
海道だけになる」状況だったそうです。それを救ったのが吉田所長以
下現場の人と全く公表されていない3月11日夕方から招集がかかり、
翌朝12日の未明に到着した自衛隊隊の渡部曹長以下2台の消防車
で現場に駆け付けた自衛官であったとのことです。

作家門田隆将氏が伝えたかったのは、他の小説でも取り上げている
が一貫して「毅然とした日本人」の記録を残したい。将来の孫子の
代に現場の人間がどのような思いで日本を救う行動をとったのか?
吉田所長以下、大変に多数の人が実名で書かれていますが、それほ
どの方に何度も直接会って取材をした結果です。その中で門田氏の
訴えたかったことは、現場の職員は素晴らしい使命感・責任感をもっ
て「日本を救った」それに比べて首相以下政府関係者・政治家・東電
の勝俣会長以下、幹部・広報担当者・マスコミ関係者は、とんでもない
拝金主義者であり、自己擁護に走っている!!

私は、講演が終わった後、懇親会までにロビーで販売されていた著
書の中から本日の演題に沿った「死の淵を見た男」を購入しました。
そして、宴席の最中、門田氏のところへ行って本にサインをもらい、写
真も一緒に撮って頂きました。その時に「一つ質問ですが~~」と前
置きして「先生は、今現在、原発についてどのようにお考えですか?」
担当直入にお聞きしました。
エネルギー問題、防衛問題、経済問題など多岐にわたる判断を必要と
する問題で一言で答えらる問題ではない。前述の問題点が解決できる
手段があれば廃炉にすべきとは思うが、すぐ廃炉へとはいかないだろう。
と言うことでした。

門田先生を独り占めにも出来ないので、もう一点だけと「私は、自衛隊出
身者で3・11の夜、東電の清水社長夫婦が奈良に旅行中であり、慌て
て東京へ戻ろうとした社長の交通手段がなく、経産省から防衛省に依頼
があり、防衛相の担当者は自己の判断で小牧から自衛隊のヘリで送ろう
としたが時の北沢防衛大臣が静岡上空まで来ていたのを「人命救助にあ
たらない」との判断で引き返させ、翌日の朝の帰社になったことと一緒で
すね!!」と申しましたら「エッ、そんなことがあったのですか?」とのこと
でした。
多分今後、この事実も知られると<あの政権がどんなにダメな政権>であ
ったかを一層、確信なさることであろうと思われます。
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