堀尾家の寺「圓成寺」パート1
昨日(4月17日)、昼過ぎにチョット時間をとって「圓成寺」を
訪問しました。
新聞で「妙見社」が公開されている記事を見たからです。
これが加藤清正が朝鮮出兵の折に苦戦をしたため、釜山で鋳造させた
鈴であり、この鈴を後に加藤清正から堀尾吉晴に受け継がれたことに
より、「圓成寺」の寺宝として本堂、ご本尊の安置してある下に地下室
があり、その地下室に下の写真の「妙見社」の中に収納されており、
普段は、「秘仏」として鑑賞は出来ないそうです。今回、「開府400年
記念博」の一環として4月15日から17日までの3日間の公開でした。
若槻住職が自ら、一組ひとくみに詳しくご説明をされておりました。
鈴の上には、方位の神様(北を表す玄武)が乗っています。
裏には、「文禄二年(1593)、癸巳二月日」
「肥後守 藤原 清正(花押)」と鋳出してあります。
この「圓成寺」は、堀尾吉晴が松江開府のおり、慶長16年(1611)に
広瀬から移り、浜松の天徳寺から春龍和尚を向かえ当初、国屋の荒和
井山に瑞応寺として松江城主の菩提寺とした。
堀尾家断絶のあと、京極氏の時代に春龍和尚の隠居地であった元山に
移し、堀尾忠晴の戒名からとり「圓成寺」として爾来、400年にわたり
堀尾氏の菩提寺として法灯を守ってきた。
本堂の前には、春龍和尚が紫衣の勅許を賜ったとき勅使がくぐられた
「勅使門」がある。 その紫衣が入れてあった「「春龍和尚紫衣勅許
御綸旨」の箱です。
このように「圓成寺」様には、「見所沢山」のものがあります。今回は
パート1としてアップしておきます。