浄音寺
[出雲三十三番観音霊場]
平安末期の創建の尊平山宝巌寺を源とし馬頭観音(伝運慶)を本尊とするも損傷はなはだしく昔日の面影は偲ぶのみである。その後度々の興廃を経て、神魂神社の神宮寺となり、別当職覚真阿闇梨により再興、寺運隆盛となる。その頃、神護山と云われ天台宗に属していた。天正年間に至り神魂神社の社領の内から五十石が与えられ、これを寺領と定め松鐘山浄音寺の寺号が定まった。時が流れ慶長年中堀尾氏入国に際し、寺領没収されたが地区の人々により復旧され、真言宗となり大覚寺派に属し、明治に至るが、六年廃寺を命じられたが、村人により「ジンゴッツアン」(神宮寺のなまりか)として観音堂と称し護持され、大正十一年九月兵庫県三原郡堺村西瀧寺を当地に移転し旧寺号浄音寺を復活した。
興廃をくり返しつつも地区の人々や寺僧により護持された本尊十一面観音は島根県内で最も美しい鎌倉彫刻の代表作として国の重要文化材の指定を受けている。
当寺は意宇の里古代出書文化の中心地に位置し、風土記の丘、岡田山古墳、神魂佐草の社と散策の楽しみは尽きない。
当寺の行事で特筆すべきは、正月の御頭行事、「おもっつあん」である。松江市指定無形文化財、秋鹿高祖寺の勇装さはないが、榊で美しく飾られた鳥井形の竹に組まれた大餅を地区毎に定められた当家が、本堂にかつぎ上け、法要の後次の年の当家がかつぎ降ろして地区に持ち帰り、切り分けし、各戸に「うつぎ」の枝と共に配り、新年の除災招福を祈るのである。又わらずとに入れた小餅をまくなど古いしきたりが伝えられ、餅上け歌なども伝えられている。
<ガイド>
●宗 旨/真言宗
●ご本尊/十一面観世音(重文)
●名 所/出雲国分寺跡 出雲国府跡 岡田山古墳 風土記の丘
国道432号を松江から八雲町に行く途中、大庭町団原バス停付近から狭い農道を入ると、当社提供の看板があります。
看板の横を左に曲がると左の写真の参道です。 境内左には、このような地蔵さまが
祀ってあります。
本堂の正面内部 本堂の右側目にもこの額があります。
取材に行った時、このように「紫陽花」が満開にさいていました。
広い境内でありましたが、この時期最も草が伸びる時期でありながら
きれいに整備されていて驚きました。近所の信者の方のご奉仕であろうと
感服いたしました。
まつかぜに いざなみたつは きよきおと にごらぬみよに なるぞうれしき
松江市大庭町240TEL0852-23-7510