観音寺
[出雲三十三番観音霊場]
観音寺は安来市吉田、独松山(320メートル)の中腹に神亀年間、僧行基の開基に始まり、本尊十一面観音像は其の作と伝えられている。中世尼子氏全盛の頃には其のの本拠月山城の東の鎮護として尊崇極めて厚く当時は寺運も一山十坊と称し寺領数十町歩を擁し隆盛を誇っていたが、其の後尼子氏滅亡と共に寺運亦昔日の如くならず衰微に任せていた。
元禄年間に至り住僧元良の手に依り三間四面の堂宇を再興せられ、次いで弘化年間釈雲照師来往し伽藍を一応整い幸運の挽回を計られたが敗戦後思想の混乱と農地解放により寺領を次々と失い遂に嘗てない悲運相遇し洵に嘆かわしい成行となつた。
札所道順、宗派の関係(真言宗)によりご本尊十一面観音は巌倉寺境内お大師堂に安置し十九番観音寺として参拝され今日に至って居る。
出雲の札所中、ここは一度に二力所の納経ができる。時間の多少の余裕があれば城跡を散策するのもよい。
<ガイド>
●宗 旨/真言宗
●ご本尊/十一面観世音
●名 所/月山 太鼓壇公園
絣センター 歴史民族資料館
富田山荘 足立美術館
18番岩倉寺への参道をそのまま真っ直ぐ行くと右側に「堀尾吉晴の墓」という看板があり、右へ進んでゆくと
写真のような立派な「五輪塔」のお墓にたどりつきます。
お墓の説明書
のりのこえ よしただよそに もとむなよ みねのあらしに まつかぜのおと
島根県安来市広瀬町富田562TEL0854-32-2933