光明寺
[出雲三十三番観音霊場]
光明寺は、「タやけこやけ」の童謡そのままの、たたずまいをとどめ、天下の名鐘、朝鮮渡来の重文、梵鐘所在の寺として、国道54号線が赤川と交差する加茂柳橋から西方約四キロの大竹山中腹に、うっそうと繁った森に囲まれ夢がそぴえている。
現在、曹洞宗に属し、永平寺、総持寺の両大本山の流れを汲む当寺の歴史は古く、平安・奈良時代にまで遡ると言われるが、数時の火災により寺伝、古記録等ことごとく焼失して詳細はつかめないが、現存する前述の寺宝、朝鮮渡来「新羅鐘」の銘文や、縁起、境内周辺の樹木にまつわる伝承などから推察すると、弘法大師空海が唐から帰朝した翌年の大同二年(807)に随徒月桂上人が、この地を巡行し錫を留めたと言い伝えがある。この頃を山岳仏教寺院としての光明寺の創建とすることが出来るであろう。
本尊十一面観音立像は御丈一丈三尺五寸の桧の一木造りで出雲札所随一の巨像である。また、和泉屋黒田氏が寄進した巡礼接待の大湯釜、松江二代藩主綱隆公が眼病平癒のお礼に植えられた「つり鐘桜」などがある。また、近年、眼下に広がる眺望絶佳の景観と文化財、行き届いた自然保護により、青少年健全育成なとの合宿研修の場としても広く開放されている。更に大事業として寺宝「朝鮮鐘」は、鋳造されておよそ千百有余年を数えるが、日本へ渡来して後、数寄な運命を辿り、明應元年(1492年)に光明寺に掛けられ、満五百年を迎えるにあたりこの鐘のふるさと韓国で複製鐘の鋳造が住職の発願で実現、新たな日韓親善の文化的国際交流活動として注目されている。
(ガイド)
●宗 旨/曹洞宗
●御本尊/十一面観世音菩薩
●行 事/春の大祭(4月下旬)毎月の例祭(17日夜)
●みころ/「つりがね桜」4月中旬 朝の雲海
斐伊川の支流、赤川沿いの県道を加茂町内に向って走ると
「おおたけ大橋」を過ぎたところでこのような案内看板が立って
います。この看板から左折し、荒木建設の角から急勾配の坂道
を登ってゆくと下の写真の山門が見えてきます。
「大獄山」という立派な山号額が架かっている仁王門(山門)を
潜って石段を登ると丈六の十一面観世音菩薩立像を奉安する
三間四面、重層入母屋造りの本堂があります。
案内看板です。クリックしていただくと大きくなります。
本堂の左側には、庫裏があり、参拝者を労う茶菓の接待があ
ります。
境内南側には、重要文化財の梵鐘(朝鮮鐘といわれる)があ
ります。
加茂岩倉遺跡までここから歩いて3,6キロ(約一時間)の案内
看板があります。
いくよへん おおたけやまの かんぜおん かみよも いまも ちかいかわらず
島根県雲南市加茂町大竹大竹上292TEL0854-49-6565