長楽寺
[出雲三十三番観音霊場]
当山は天平年中、火災により焼失し当時の事は詳らかでないが、口伝によると往古は一大伽藍にして、十二坊を有し現在地より東北の地にあったといわれている。現にその附近から、古代瓦・土器類が出土し、また「地獄谷」等の地名も残っている。
承和十四年十月、慈覚大師円仁(入唐求法巡礼行記者著者・第三代天台座主)が入唐求法の旅より帰朝後、当地方教化のみぎり、聖観音を刻み御堂を建立し安置した。
その後、隆純和尚が再興したが、元亀・天正の兵乱以後衰退し、明治七年廃寺となり私邸内自祭りの仏堂となっていたが、庶民の厚い信仰により、明治十二年三月十四日衆庶参拝の許可を得る。その後、信徒の願望により、明治四十五年六月二十七日、清水寺搭頭「見性院」を移転合併の許可を得、大正二年八月十八日、現在地に移転し観音堂を合併して「見
性院」と号した。
然し数多の参拝者がいずれも、旧名の「長楽寺」を呼称し信徒間においても頗る不便を感じ、大正二年九月十一日「長楽寺」の呼称を得て現在にいたる。
御本尊は、清水寺の観世音菩薩の姉様と古来より云われ、清水寺の慶事には、姉様として御輿に乗り賑やかに行列し迎えられた。また、長寿、乳出のご利益、子供の虫封じの秘法が伝わっている。
<ガイド>
●宗 旨/天台宗
●ご本尊/聖観世音菩薩
●行 事/塔婆供養並諸祈願法要 4月18日
●名 所/和鋼博物館 足立美術館
ここのえの はなのみやこも とおければ おのえのかねも よそのゆうぐれ
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